全教は、7月20日、書記長談話『岸田首相による安倍元首相の「国葬」実施の表明に抗議する』を発表しました。
7月14日、岸田首相は記者会見で、7月8日に死去した安倍元首相の「国葬」をこの秋におこなうことを表明しました。その後の報道では7月22日に閣議決定をするとされています。「国葬令 」が1947年に失効し、現行法には「国葬」の規定はありません。1967年に吉田茂元首相の「国葬儀」がおこなわれた例があるのみで、「国葬」の実施はきわめて異例なものです。
多くの国民は、参議院選挙の遊説中に銃撃され不慮の死を遂げた安倍元首相を追悼する思いを持ち、いかなる理由があろうとも暴力によっていのちを奪う行為を許すことができないと考えています。しかし、「国葬」の実施について国民的な合意がないこともまた明らかです。「国葬」は安倍氏の政治を美化し、故人への賛美を国民に強要することにほかならず、民主主義を損なうものです。
現時点で「国葬」がどのようなかたちでおこなわれるかは不明確ですが、もしも学校を含む官公署における弔旗掲揚等が強制されるとすれば、子どもや教職員に弔意を押しつけることになります。憲法 第19条の思想・信条の自由の保障に抵触し、個人の内心を統制することにほかならず、許されません。
岸田首相は「国葬」によって「我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく」と述べていますが、そもそも個人の死を政治利用することは厳に慎むべきです。
岸田首相は、安倍氏が歴代最長の通算8年8か月の間、首相を務めたことなどを「国葬」実施の理由としました。しかし、2度にわたる安倍政権のもと、教育基本法 は改悪され、教育現場に安倍「教育再生」が押しつけられました。いったん制度化された高校授業料無償化に所得制限が導入され、救貧対策に変質させられました。集団的自衛権行使容認の閣議決定に続き、安保法制=「戦争法」の成立を強行し、新自由主義的な経済政策である「アベノミクス」は、貧困と格差の拡大を深刻化させました。森友・加計学園問題や桜を見る会など権力の私物化をすすめ、国会の議論を軽視し、政治の劣化がすすみました。これらの事実に対して、全教は批判し、多くの人々とともに政策転換を求め続けてきました。
このような声を考慮することなく、岸田首相は、短時日の間に、「国葬」の実施を表明しました。「国葬」の費用は全額国費で賄われるとされており、国民の声を幅広く聞くことは不可欠です。さらに、銃撃事件の容疑者の動機が、旧統一教会への恨みと報じられていることからも、政治家と宗教団体の関係について明らかにすることもきわめて重要です。
全教は、岸田首相による故安倍氏の「国葬」実施の表明に強く抗議し、その撤回を求めるとともに、多くの人々と力を合わせ、憲法をいかし、民主主義にもとづく政治の実現と、一人ひとりを大切にする教育と社会の実現を求める決意を表明します。