労働組合と共済が車の両輪のような関係であることがわかりました。
労働組合と共済の歴史について教えてください。
労働組合と共済の歴史は、イギリスではじまった産業革命のころにまでさかのぼります。
18世紀、産業革命がすすむイギリスでは、町に工場が立ち並び、そこで働く人々が集まってきました。
しかし、そのころは職場の環境、労働条件も非常に悪く、工場で働く労働者は安い賃金で1日に14時間、15時間も働かされる一方で、不況になったときや労働者が病気やケガで働けなくなると容赦なく解雇される有様でした。
この問題が深刻になってくると、労働者たちは工場主や社会に不満をぶつけるようになりました。これが労働運動のはじまりです。運動のなかから労働組合が誕生しました。
19世紀の後半からひろがり始めた普通選挙制度によって、議会も労働組合の声が無視できなくなり、労働者の声を反映した労働法が整備され、労働組合と労働者は法的な保護を受けるようになりました。
共済の活動も労働運動と同じころから始まったのですか?
そうです。このころの労働者たちは、1日の仕事を終えるとパブ(居酒屋)に集まり、職場のこと、自分のことなどを語り合っていました。
そんなある日のこと
常連の一人が姿を見せません。病気で仕事を休んでいるようです。別の常連が立ち上がり話し始めました。
仲間が病気で休んでいる。
ビール1杯分のお金を帽子にいれてくれないか?
このお金で見舞いを持っていこう。
こうして彼のもとに見舞いが届けられ、病気が治った彼はパブに戻ってきました。
みんな、どうもありがとう。
次に誰かが病気になったら、今度はお返しに私が中心になってみんなからお金を集めて見舞いを持っていくよ。
こうして、一度限りの助け合いが発展し、病気やケガ、失業など万一のときに備えてあらかじめお金を集めておこうという話になりました。
そのなかで、一人が負担する金額、もらえる場合とその金額などの約束事がつくられていきました。
このようにして、自主的な共済活動の原型がつくられていったといわれています。
イギリスの労働者同士で始まった共済活動が、労働組合の規約としてはっきりとした形となったのは、1851年に設立された合同機械工組合と言われています。
日本ではどうだったのでしょうか?
労働組合の積立金により、組合員の突然の不幸を救い、その家族が安心して生活ができるようにすることは、労働者が自分の信じるところを自分の意思で行動する意欲を養い、労働者としての本来の責任を果たすことにもなる
職工諸君に寄す
共済の活動は労働組合の誕生の原点ということですね。
- 労働組合のはじまり
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18世紀の産業革命がすすむイギリスで、労働者たちが工場主や社会に対して、待遇の改善などを要求する運動が次第に組織化され、労働組合へと発展しました。
19世紀後半からひろがり始めた普通選挙制度により、議会も労働組合の声を無視できなくなり、労働法が制定され、労働組合と労働者は法的な保護を受けるようになりました。
- 共済のはじまり
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労働運動が起こり始めたころの労働者同士の助け合いの運動が、一人の負担する金額、もらえる場合とその金額などの約束が定められて、労働組合の活動として規約にも定められるようになりました。
- 日本では
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1897年に結成された「職工義友会」が配布した文書に、労働者に労働組合の結成を促すとともに、労働組合が行う共済の役割の大きさが示されています。