この文書は、全教(全日本教職員組合)常任弁護団が2023年10月に討議資料「労働時間に関する労働基準法の原則と給特法改正の方向」として発表したものの後半部分を別の記事として掲載したものです。
1.問題の所在
自由民主党の政務調査会「令和の教育人材確保に関する特命委員会」は、2023年5月16日、「令和の教育人材確保実現プラン(提言)~高度専門職である教師に志ある優れた人材を確保するために~」を発表した(以下「提言」という)。提言は、教員の長時間労働の現状を前に「学校における働き方改革のさらなる加速化」を求め、教育調整給の増額や諸手当の新設。改善など「教師の処遇改善」を提起している。
提言は、給特法の枠組みの破綻という実態を一定反映したものといえる。しかし、「教師の処遇改善」で提起されている措置は、現在の長時間労働の改善には役立たないどころか、かえって現状を追認・固定してしまう危険性がある。さらに、提言の内容は、教員の間に差別や分断を持ち込み、教育現場に混乱を持ちみかねないものといわざるを得ない。
2.教職調整額の増額や諸手当の創設は、長時間労働の解決につながらないどころか、現状を追認・固定する危険性があること
「提言」は、「高度専門職」を口実にして、時間外労働に対する割増賃金の支払いを頭から否定し、教職調整額や諸手当による対応に終始している。これでは、膨大な時間外労働に対する不払いという問題は改善されない。そればかりか、以下に述べるように、長時間労働の実態を覆い隠し、追認・固定してしまう危険がある。
(1)現状を固定、強化する調整額の増額、諸手当の創設
給特法の枠組みを維持した下での教職調整額の増額は、超長時間労働が放置された現状を固定・強化するばかりか、無定量な時間外労働を前提にすることで教員の職務の専門性や特殊性(職務の質)に対する正当な評価をより困難にし、教員の職務の質に十分配慮した給与体系への改善を困難にする。
この点、「提言」は「勤務時間の内外を包括的に評価するという給特法の基本的な枠組み」を維持しようとしている。しかし、教員の職務の専門性・特殊性に対する対価(職務給)と時間外労働等の対価(時間外手当)を「包括的」に評価するという考え方は、労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを、明確に判別することが必要とする判例理論に違反する(最高裁判決令和3年2月20日 国際自動車事件第二次最高裁判決参照 )。職務に対する対価と時間外労働に対する対価を区別せずに支払うのは、違法な固定残業代と本質的に変わらない。教職調整額で勤務時間内外の教員の労働を「包括的に評価する」などという制度は、超長時間労働の温床になり、過労死を引き起こす原因そのものである。
(2)適正な給与制度への改善を困難にすること
教職調整額の中に時間外手当の趣旨を含めば、後に制度を是正し、時間外労働に対して正当な手当を支払う際も大きな困難をもたらす。時間外勤務手当を支払わない規定を維持したままの教職調整額の増額は絶対にするべきではない。
さらに提言は、管理職手当改善、学級担任手当創設、主任手当等諸手当の拡充を言うが、労使の十分な認識の一致に基づかない複雑な賃金体系は、実際の職務評価を困難にするものであり、また、一方で形式的な職務で教員同士を分断し、教員同士の協力、助け合いを阻害する。また、これらの手当も結局は時間外労働等の対価を職務の対価に名を借りて支払おうとするものであり、教職調整額の増額と同様の問題が当てはまる。
(3)教員の「処遇改善」は本給の抜本的増額と勤務時間の短縮によるべきであること
教員の職務の専門性、特殊性を評価し、賃金を増額するのであれば、あるべき方法は一つしかなく、それは本給を抜本的に引き上げることである。
昨今、教員のなり手不足が問題になっているが、労働市場において教員を確保するためには、役職手当を増やしても意味はなく、初任給まで含めた本給を増額する他ない。
さらに、長時間の時間外労働を労働時間として正面から認め、その解消のため教員の増員や予算増という具体的な手当てをしなければ、教員に対する魅力を感じることはできないであろう。教員の処遇改善は絶対に必要であるが、長時間労働の解消という課題に本気で向き合わなければ、画餅に終わるというべきである。
3.「メリハリのある給与体系」は長時間労働の是正につながらないばかりか、教員間に差別と分断を持ち込むこと
(1)「メリハリのある給与体系」の導入は問題の本質をそらすこと
「提言」は、「真に頑張っている教師が報われるよう、職務の負荷に応じたメリハリのある給与体系」が必要だとして、①教職調整額の増額、②新たな級の創設、③管理職手当改善、④学級担任手当創設、⑤主任手当等諸手当の拡充を挙げる。
しかし現在の教員の処遇をめぐる最大の問題は、役職や校務分掌にかかわらず、多数の教員が過労死ラインを超えるような長時間労働を強いられているのに、給特法を回実にして時間外勤務手当の支払いすら行われていないという点にある。これは「真に頑張っている教師が報われる」かどうかというようなレベルの問題ではない。教員の長時間労働の実態を受け止め、改革の方策を示すことこそが求められているのである。この点において、「提言」は、教員の処遇改善の根本問題に対する視点を欠落させているといわざるを得ない。
(2)「新たな級の創設」による人事評価制度は子どもの学習権、教員の教育の自由を侵害する
「提言」は、教員の給料表には、職に応じ一般的には5段階の級しかなく、「真に頑張っている教師が報われるよう、・・より多段階の新たな級を設定すべき」とする。
これは教員に対する人事評価と、給与への反映を想定していると考えざるを得ない。人事評価が給料にも反映されれば、人事評価権者たる管理職の意向に沿って教育活動を行わざるを得なくなり、結果として教員は専門職として自由かつ創造的な見地から、子どもたちに接し、子どもの学習。発達する権利を充足するという職責を十分果たすことはできない。
特に、どのような教育の「結果」に着目して、「成果」とみなすのかという、極めて困難な問題がある。一部で生じている学カテスト等の試験結果の偏重は、子どもの学力のごく一部を過大評価するものであるし、「いじめ」や「不登校」等も、家庭や地域社会なども絡んだ複雑な問題で、教員の職務の成果に直結するものではない。特に子どもの問題行動が人事評価上不利益に考慮されることがあれば、アメリカ公教育で起きているように、問題を抱える子どもを公教育から排除してしまいかねない。これは子どもの学習。発達する権利の重大な侵害である。
(3)「メリハリある給与体系』は人件費削減の理由にされかねない
新たな級を創設するとしても、人件費の拡大を伴わず、むしろ人件費支出削減を目的に行われるおそれがある。過去に東京都では、「教諭」を対象として「2級」に一括りとなっていたものを、「教諭」「主任教諭」「主幹教諭」等に差別化し、教諭全体の給与の切り下げによつて、主任・主幹の上乗せ分が設定された。給与体系の改革を行い、一部の教員の給与が上昇したとしても、全体として見れば、教員の給与は削減されたのであり、教員の処遇改善にはつながらないのである。
(4)人事評価の強化は、長時間労働を助長する
多くの等級が設定され、人事評価が給与に結び付けば、教員の間に、大きな賃金格差が生じる。教員らは良い人事評価を得るために、成果を競い、自ら進んで長時間労働を行うことが考えられる。実際、様々な実証研究においても成果主義的な処遇制度には、長時間労働を促進する効果があること報告されている。現状の教員の職務は、無限定に広がっており、結果として、教員らは長時間労働へと誘われ、教員の長時間労働を無くすという目的を没却することになる。
この点からも、「職務の負荷に応じたメリハリある給与体系の構築」は、導入すべきではない。